フロンティアエイジ・プレミアム
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2007年10月プレミアム号第3面 プレミアム号index
 
旅−歴史を歩けば 亀岡・千歳車塚古墳
 
 
 
天皇になる好機逸した王の墓か 元出雲や国分寺山陰古道を巡る
 
千歳車塚古墳
  ■休耕田に草むす古墳
 千歳車塚古墳は、亀岡市を流れる桂川左岸の水田の中にあった。JR山陰線千代川駅から歩いて約40分。稲穂が垂れているはずの田んぼが荒れている。通りかかった農家の人の話では、間もなく始まる圃場整備工事のために休耕中なのだという。雑草の中に見え隠れする大きなボードの「ありがとう!1300年の棚田」の文字の意味がのみ込めた。

 周囲に木がなく、草に覆われた全長約80メートルの墳丘は遠くからも目立つ。何度か遠望したことはあるものの、これまでの私には数多い古墳の一つに過ぎなかった。だが、今回は特別な思いが胸にある。「もしかしたら6世紀初頭、継体天皇の代わりに即位した可能性のある倭彦王の墓かも」と、知ったからである。

 墳丘の形状をもとに「倭彦王の墓」説を提起した研究者がいて「新修 亀岡市史 巻1」(1995年)に紹介されている。今年が即位1500年で話題の継体天皇に関係する遺跡といえる。
 
 
出雲大神宮
■即位の迎えを勘違い
 継体天皇は507年、越前から迎えられて河内国樟葉宮で即位した。宮跡とされるのが枚方市の交野天神社付近。同市をはじめ、ゆかりの地ではさまざまな催しが行われている。それに刺激され、私も関連の地を巡っており、今回もその一つ。

 「日本書紀」によると、武烈天皇が亡くなり血筋の濃い皇位継承者がいなくなった。困り果てた朝廷の重臣たちが目をつけのは「応神天皇5世孫」のヲホド王。それが継体天皇である。

 実は重臣たちは、その前に「仲哀天皇5世孫」で、丹波国桑田郡にいた倭彦王に白羽の矢を立て、迎えに出かけたが失敗している。倭彦王は兵士を伴って突然やってきた迎えの一行のものものしさに、驚いて逃げたと記す。前触れなしでは、無理もないことだろう。

 継体天皇の「継体」には、「君主の位を受け継ぐ」(広辞苑)という意味があり、奈良時代に諡(おくりな)された名。倭彦王こそが、その第一候補であったのだ。
 
 
丹波国分寺
■巨木が目立つ古社寺
 古墳を後にして北に向かう。10分ほど歩くと出雲大神宮に着いた。元出雲といわれ、丹波国一宮の式内大社。「社殿創建1300年大例祭」「平成二十一年十月二十一日」と染め抜いたのぼりが、あちこちに立っていた。

 鳥居近くで作業をしていた若い神官に「出雲大社の神は、ここから遷されたと伝わっています」と教えられた。2年前に着任した片岡宏之さん(27)という。社殿が造られたのは1300年前だが、鎮座はその遥か昔とか。しばらく話すうち、樟葉宮跡伝承地である交野天神社宮司のご子息だとわかり、不思議な縁を感じた。

 文献では、継体天皇と倭彦王がどんなかかわりをもっていたかは不明だ。しかし、考古学的には99%継体天皇墓とされる高槻市の今城塚の出土品と同じ工房で制作した埴輪が、千歳車塚古墳でも見つかっている。

 山すその道を歩いてJR亀岡駅に向かう。出雲大神宮の南2キロほどの国分の集落に知り合いの農家があり、立ち寄って弁当を広げた。 そこで、集落内の史跡・国分寺跡を公園化する事業が進んでいると聞き、訪ねてみると境内にイヌマキ、カゴノキ、ムクノキなどの巨木が目立った。巨木は愛宕神社、養仙寺などにもあり、名木探訪にも心が動いた。
 
 
丹波古道図
■時代劇ロケ地に人気
 亀岡で川東と呼ばれる大堰川左岸は、車塚古墳、元出雲、国分寺などがあることでも分かるように古い歴史を持つ。古代の山陰道が、この山すその道である可能性は高い。この地区の良さを多くの人に知って欲しいと、町おこしに力を入れている料亭「へき亭」の女将・日置道代さん(55)を訪ねた。

 「亀岡といえば、保津川下りの出発点と湯の花温泉が有名ですが、ここにもぜひ訪ねていただきたい。『隠し剣・鬼の爪』や『三匹が斬る』をはじめ、時代劇のロケがあちこちであり、これからも続くでしょう。昔の風情が残っているからです。空気が澄んで星がきれいだし、市街地の夜景も美しい」と、話はとどまることがなかった。

 元代官屋敷だった自宅の長屋門も、代官所や陣屋などとして撮影されるらしい。その熱意につられ、私も「亀岡は京の奥座敷といわれるけど、意外に知られてない。丹波七福神巡りも面白いのでは」などと相槌を打ち続けた。
 
  ■歴史に「もし」ないが
 へき亭から亀岡の市街地までは5キロ足らず。里道を通ってのんびりと歩いた。駅近くで少し回り道して文化資料館に立ち寄る。「亀岡市史」で、車塚古墳=倭彦王墓説の部分を執筆した市教委社会教育課の中澤勝さん(45)に会い、話を聞くことができた。「その後の墳丘の調査で、残念ながら墳形を根拠にした倭彦王説は可能性が低くなった。とはいっても、倭彦王の墓説を否定するものはまだ、何もない」とのことだった。

 「歴史に、もしはない」のは承知だが、「ひょっとしたら、亀岡で即位1500年記念事業があったかもしれない」などと夢想しながら、楽しい一日の旅だった。 (高橋 徹)
 
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