| |
|
|
| |
| |
|
| |
人気が高まっている「中欧」へのツアーに参加し昨年10月、スロベニア、クロアチアなど4カ国を縦断した。かつてのユーゴスラビアは6カ国に分裂。その過程での内戦の跡が生々しい地域もあったが、美しい自然と、大航海時代をしのばせる港湾都市の建築群が残り、観光客なれしていない古き良きヨーロッパに出あえた。(高橋 徹) |
|
| |
8日間のバスの旅はスロベニアの首都リュブリャナから始まった。旧市街の路面は石敷き。広場付近に市庁舎、キリスト教会、商店街が並ぶ。明らかにここは西欧の雰囲気。建物群の外観はルネサンス、バロック、アールヌーボーなど様々な様式ながら、調和は見事だった。
翌日訪れた「絵のような」景色のブレッド湖、ヨーロッパ最大というボストイナ鍾乳洞は、長い空の旅の疲れを十分に癒してくれた。ブレッド湖に浮かぶ島の教会で先ごろ、日本人が挙式したという。ユーロ圏に組み込まれた今、かつての「東側諸国」というイメージは全く残っていなかった。
3日目の朝、クロアチアの首都ザグレブへ。ここもまたキリスト教文化の影響が色濃く残る。1991年、スロベニアと同時に独立しながらまだユーロ圏に入っていない。町のたたずまいや垣間見た生活ぶりは、スロベニアに比べてかなりの格差を感じる。「08年にはユーロ圏入りが認められるのではないかと国民は期待しているんです」。若い女性現地ガイドの言葉が心に残った。この後に訪れたモンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナもユーロ圏入りを強く望んでいる。
今回の旅の主な目的は6カ所の世界遺産。うち5カ所はアドリア海沿いにあるが、プリトビッツエ湖群国立公園だけは山岳部。4日目の朝、川崎市の姉妹都市リエカからそこに向かったが、季節外れの降雪で通行止めのため、あきらめて北のポレチュへ。ここには東ローマ帝国時代建立の文化遺産の教会があった。 |
|
| |
ドリア海のクロアチア領内には千を超える島がある。赤い瓦を乗せた石造家屋がなければ、まるで瀬戸内海といった趣きだ。5日目にまず立ち寄ったのは、文化遺産の聖ヤコブ大聖堂があるシベニク。古い港町の面影を伝える町並みに、昔の繁栄をしのんだ。
島ぐるみ城壁にかこまれた町トロギールを見て、沿岸最大の都市スプリトで宿泊。文化遺産の旧市街は、日本で言えば卑弥呼と同時代に、ローマ皇帝ディオクレティアヌスが退位後に住んだ宮殿が基盤。宮殿跡は遺構だけでなく、何度となく改築された建物が今も教会、商店、住居などに使われ、過去と現在が同居していた。
かつてベネチアと並んで栄えたドブロブニクの市街景観は、クロアチアの文化遺産を代表する。独立戦争時に空爆で破壊されたが、市民の力で元の姿に戻ったという。
モンテネグロのコトルは、後背地の山上にまで城壁を持つ文化遺産の港湾都市。地震で壊れた石垣修復を日本政府が援助していると聞いた。
陽光穏やかなアドリア海沿岸は古くからの避暑地だが、冷戦時代の冬眠状態を経た後、団体客受け入れ態勢は十分ではない。ただ、そのぶん人々は純朴で付きまとう押し売りもいず、のんびりと観光を楽しめる。日本人客が増えているのもうなずけた。
旅の最後の日はボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボへ。1984年冬季オリンピックの開催地。道中の車窓から、破壊された建物を数多く見た。サラエボ市内のビルもここかしこに弾痕が残る。内戦で約20万人の死者が出たといわれる。オリンピックの主会場は墓地となり、無数の墓標が並んでいた。
西欧文化とイスラム文化が住み分けた旧市街南部にかかるラティンスキー橋は、オーストリア=ハンガリー帝国皇太子夫妻が狙撃され、第1次世界大戦の発端となった地である。
その夜、トルコ・イスタンブール経由で帰途に。観光だけでなく民族問題、国際情勢を身近に学ぶ旅になった。 |
|
|
|
|