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太平洋戦争末期に国民学校(小学校)の5年生が書いた1年間の絵日誌全191枚が16、17両日、大津市の瀬田北市民センターで展示される。純真な子どもたちの作品だけに、あるがままに切り取られた当時の世相が読み取れる。
半紙に残された記録は「チューリップの花が咲いた」「麦の穂がではじめた」といった喜びや学習、運動会、学芸会など、今と変わらぬ学校生活が大半だが、戦時下の特異な出来事も目立つ。
現在と違って教室の授業は意外に少なく、始業式翌日から学校に近い学習園(農園)で作業を始め、稲やサツマイモ、野菜などを育てているが、これは生産活動と勤労、そして教科活動をつなぐという校長の総合教育方針そのもの。命をはぐくんで得た収穫は、折々に教室で食べたようで「まちにまった試食会」という記述が何度も出てくる。
8月末、大阪市浪速区の浪速津国民学校の児童が、集団疎開でやってきた。秋になると、警戒警報のサイレンが再々鳴り、やがて空襲警報へと代わる。「日記には書いていませんが、防空壕にはしょっちゅう避難しました」と、筆者らは語っている。
にもかかわらず「負ける」とは思っていなかったらしく、「どうしても勝ち抜かなければなりません」(2月15日)、「今年こそ勝ち抜くぞ」(3月5日)といった誓いの言葉が並ぶ。「愛国少国民」を育てる教育が、この地にもしっかり根付いていたようだ。
疎開してきた浪速津国民学校の児童らを慰問するなど、交流はひんぱんにあったようだ。だが、同校は大阪大空襲で炎上して廃校になり、戦後に交流が復活することはなかった。
絵日誌を書いた女性たちは「お会いして、当時の思い出を語りあいたい」と願っている。
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| 状況超え柔軟な感性 |
共有されるべき一級資料 吉村 文成 |
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「すごいものが出てきた」―学級絵日誌191枚の存在を確認した時の正直な思いだ。
何がすごいか。第一に絵と文章の質の高さがある。たしかに時代を映して戦争や戦意高揚の活動が随所に取り上げられている。だが、そこに描かれた絵の構図は驚くほど自由で、色彩は大胆だ。文章は細やかな自然観察を交え、やわらかな情感を伝える。
あの戦争の時代、すべてに乏しく、皇民化教育が幅を利かせた抑圧の時代に、どのようにしてこれほど自由でやわらかな情操が育てられたのか。担任の西川綾子教諭は「総合教育」を口にした。大正自由教育の残滓が感じられないだろうか。西川教諭の指導を改めて見直す必要がある。
歴史資料、教育素材としてみても第一級だ。まず、昭和19年4月から翌年3月までの1年分がそっくりそろっている。しかも、まさしくその日に描かれたものだ。この2点は決定的だ。まるでその時代にいるような臨場感で、当時の学校行事や教育の実態、子どもらのこころの動きを伝える。
また、瀬田国民学校という限られた空間の記録でありながら、同時に、若者を戦場に送り出し、銃後を支えた、全国津々浦々の戦争体験、いわば「どこにもあった戦争」の記録でもある。その点で広範な国民に共有されるべき資料だと考える。
(龍谷大学国際文化学部教授) |
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