| |
 |
戊辰戦争の鳥羽伏見 |
|
|
|
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」人気も手伝って、幕末の歴史に関心が高まっている。それに刺激され、幕藩体制に終止符を打った戊辰戦争の発火点、京都市南部「鳥羽伏見の戦い」の戦跡ウオーキングに出かけた。これらの地はまた、有名な名水の里でもある。 (高橋 徹) |
| |
|
| |
近鉄京都線の竹田駅で下車し、城南宮道を西に向かう。城南宮を右手に見て国道1号を横切り、少し行くと小枝橋という鴨川にかかる橋がある。
1868(慶応4)年1月3日、この橋の付近を守護していた薩摩藩側が、隊列を組んで京都御所に向かおうとしていた幕府軍に発砲する。幕府軍もただちに応戦。その音は3キロほど東南にある伏見の御香宮神社に駐屯していた新政府陣営にも届き、南の伏見奉行所にいる幕府軍に向けて大砲を発射。その後1年半続く戊辰戦争の発端となる「鳥羽伏見の戦い」が始まった。
小枝橋の南東にある鳥羽離宮跡公園内には「明治はここ伏見からはじまった」と、戦闘のいきさつを刻んだ大きな石碑が立っている。戊辰戦争は武力による新政府樹立への動きで、多くの血が流されたが、日本が近代化に向けて大きく舵を切った事件であった。 |
| |
国道1号を横切って引き返し、城南宮に参拝。鳥居の横に、京都市が建てた新政府軍がこの地に布陣したという説明板があった。手水舎の脇には「江戸時代の随筆に、城南宮の菊水を飲めば万病が治ると参詣人が絶えないとある」という趣旨の説明板も。こちらは同神社の建立。
城南宮道を東に向かい、竹田街道との交差点近くで左に見える多宝塔は近衛天皇陵。屋根が2層になった高さ16メートルの塔で、天皇の陵墓としては他に例がない形式だ。
竹田街道は京(京都市中心部)と伏見をつなぐ街道で、日本で初めて営業用電車が走った道でもある。1970年に廃止されたが、のどかな田園風景の中を走る電車に乗った記憶が私にもある。今はビルも立ち並び近くを高速道路が走る。
竹田街道から伏見市街地の東西を結ぶ大手筋通を経て御香宮に着いた。伏見丘陵の西ふもとの少し高台にある。戊辰戦争当時は城南宮まで見通せたに違いない。小枝橋付近で起きた砲声に、直ちに呼応できたのもうなずける。 |
| |
|
| |
御香宮には「御香水」といわれる名水が湧き出ている。もともとは地元の氏神だが平安時代、境内から香り高い水が湧き出たことで、清和天皇が「御香宮」と命名した霊水である。ここに布陣した薩摩軍の兵士も、のどを潤したことだろう。
この戦いのため、伏見奉行所をはじめ幕府側の拠点のあった一帯の町は壊滅的な被害を受けた。奉行所の西1キロほどにあり、会津藩の駐屯地だった伏見別院も、昔をしのばせるものは大銀杏と鐘楼、山門だけになっていた。そんな中で、奉行所の近くにありながら奇跡的に戦火を免れた家が、京阪伏見桃山駅のすぐ東に現存する。「魚三楼」という京料理店。その表格子には当時の弾痕が残されていた。
伏見は酒造りの町。豊富で良質な水に恵まれたことから始まったと伝えられるだけに「伏見トレビの泉」「さかみず」「白菊水」「閼伽(あか)水」など数多くの名水が街中にある。それらの名水を味わいながらぶらぶら歩くうち、坂本龍馬ゆかりの寺田屋の前に出た。多くの観光客でにぎわっていた。 |
|
|
| |
|
| |
第9回「恵みの水」巡礼ウオークは5月17日、このページで紹介している京都市の南部を訪れます。今回も柴山元彦代表ら湧き水サーベイ関西のスタッフ3人と高橋徹本紙編集委員が同行解説し、名水と戊辰戦争の史跡を巡ります。
朝8時に大阪駅前に集合し貸し切りバスで出発。水無瀬神宮の離宮の水(恵みの水34番)、小枝橋・鳥羽離宮跡公園、城南宮の菊水若水、近衛天皇陵、伏見の御香水(恵みの水37番)、伏見奉行所跡から白菊水を経て寺田屋まで散策し夕刻帰着。食事代込み1万3000円で定員先着40人。申し込みは日興トラベル大阪営業所TEL0120・039・253へ。
|
|
|
|
|
|
|
|
|