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春の種子島・屋久島を目指し、名古屋港から豪華客船「ぱしふぃっく びいなす」=写真=に乗った。まず向かうのは約850キロ先の種子島。午前10時半、シャンパンで祝いながら岸壁を離れた。白い船体がまばゆい「びいなす」は全長183.4メートル、幅25メートルで2万6594トン。横浜で前夜113人が乗船、名古屋で218人が加わった。平均年齢68歳前後、最高齢は92歳の女性だ。
往復4日間の船内生活。退屈しないかの心配は無用で、イベントがいっぱいある。昼間はコサージュ作りなどの文化教室が開かれ、操舵室開放の時間も。映画を鑑賞し、吹き矢も体験。夜になるとシャンソン歌手のステージやマジックショー。レビューショーでは映画『ウエストサイド・ストーリー』などの歌や踊りをたっぷり楽しんだ。
年金世代のカップルが多く、女性の3人組も。名古屋から乗った84歳男性は1人旅。「数年前、妻に先立たれた。この旅を共に楽しみたくて遺影を持ってきました」。カードゲームのブリッジを楽しんでいる20数人男女は横浜からの乗船組。午前と午後の2回、競技をし、夜は着飾ってダンスに興じていた。
「船旅の良さは移動の間も楽しめること。その良さを味わってもらえるよう、私たちは工夫し腐心しています」と恒川郁雄船長(43)。
夜は北斗七星が七つとも、くっきりと眺められる。朝6時、1周336メートルのデッキに出ると、ウオーキングする人、日の出を待つ人がいた。
スーツケースを転がしながら移動する必要もない。巡航速力18.5ノット(時速34キロ)。船はまさに動くホテル。その楽しさを満喫した。(ん) |
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日本クルーズ客船「ぱしふぃっく びいなす」の船内見学と豪華客船のクルーズ旅についての説明会が5月19日13〜15時、神戸港中突堤に接岸中の同船で催されます。30人限定で参加費1000円(コーヒーまたは紅茶とケーキ付き)。申し込みはジェイ・ケイ・トラベル(株)(TEL06・6312・8100またはFAX06・6312・8101)へ。 |
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午後、種子島西海岸の島間港に入港、岸壁で待つツアーバスに乗る。車窓に流れるのは、なだらかな丘陵と穏やかな海岸、そして水入れを待つ水田だ。島は超早場米の産地。3月下旬に田植えし、7月に収穫する。
島の南北は約58キロあるが、一番狭い所はわずか5キロ、一番高い山は標高282メートルしかない。平たくて細長〜い島だ。
「こんな島にも、道路にはちゃんと信号機があるんです。しかもその信号機が、高速道路入り口のバーのように動くんです」。バスガイドさんが自慢げに話してくれた。島の東海岸に種子島宇宙センターがある。巨大なロケット本体は島間港に陸揚げされ陸路、打ち上げ場へ向かう。そのさい、信号機を動かしてロケット移送の邪魔にならないようにしているのだ。
ロケット発射塔、組立塔などの諸施設を眺めながら、宇宙科学技術館(TEL0997・26・9244)に入った。日本の主力ロケットH―Uの打ち上げを迫力いっぱいの音と映像で見る。メーンエンジンの実物、H―Uロケットの実物大模型も展示されていて、改めて宇宙に飛び出すロケットの大きさにびっくりした。
美しい海岸線は海水浴客やサーファーを魅了する。その一つ東海岸の千座(ちくら)の岩屋を訪ねた。砂浜の先の洞窟は干潮時、千人が座れるほどの広さになる。そこでこう名付けられたのだ。
島最南端の門倉岬は鉄砲伝来の地で知られる。1543年、ポルトガル船が漂着して銃がもたらされた。残念ながら、7月末まで岬の公園が改修工事中で訪れることが出来ない。代わりにガイドさんが、鉄砲伝来時の伝説を教えてくれた。
国産銃作りを命じられた鍛冶屋の頭領。苦心の末、銃身は出来たが銃底の部分がうまくいかない。頭領の娘、若狭姫がその技法を知る異国人に涙をのんで嫁ぎ、そうして得た技法で「種子島銃」が誕生したという。そんな哀話を聞きながら、種子島を後にした。 |
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続いて訪れた屋久島は日本初の世界自然遺産。種子島を「海の島」とするなら「山の島」だ。海岸線からすぐに岩肌がそびえ、中央部には九州の最高峰、宮之浦岳(1936メートル)が佇立(ちょりつ)する。船は北岸の宮之浦港に入った。すぐにツアーバスに乗り換え、島の南部を目指す。
約1時間でヤクスギランドに着いた。標高千メートルに広がる自然林の森だ。1頭のヤクシカがいた。私どもの膝ぐらいの体高で気ままに歩く、彫像のようにたたずむ。愛称はひろしクン。観光客を出迎えに、山から出勤≠オてくるのだそうだ。
ランドには散策道が整備され、1周30分から150分の4コースがある。ツガの巨木の下を通り抜ける、ヤクスギの倒木を見たり、切り株の上に生えた双子杉を見たりして歩く。露草ほどの小さな花が咲いていた。屋久島固有種の「オオゴカヨウレン」だ。
さらにバスで20分。紀元杉を見た。樹齢3千年で太さ8メートル余。この倍の幹回りがある縄文杉を見るには、車と徒歩で往復10時間はかかるが、紀元杉なら登山なしで目にすることができる。
トビウオなどを使った地元料理の昼食を終え、再び山に入り落差60メートルの千尋(せんぴろ)の滝を眺めた。辺りは寒緋桜が満開、3月初旬で島はすでに春だった。
「樹木は厚いコケに覆われ、どこにいっても水の音がする」。屋久島エコツアーガイド田平拓也さんが話していた通りの島だった。年間降水量は平地で4千ミリ、山間部では最高1万<ミリと、通常の所の2、3倍にもなる。月のうち35日は雨とまで言われるほどだ。それほどの豊富な水がコケを育て、水音を絶やさないのである。
それだけに降雨の激しさはラッキョウ粒のような雨、百円合羽なら破れるとまで言われている。私たちの旅は好天に恵まれたが、ラッキョウ雨も体験したかった、そう思いつつ島を離れた。 |
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全通したばかりの九州新幹線を利用し、鹿児島県・甑(こしき)島を訪れた。薩摩半島西方約30キロの東シナ海に浮かぶ3島からなる群島。そこは波が造形した巨岩奇岩と、人工林のほとんどない照葉樹林の間を点々と彩る山桜。夏にはかれんなカノコユリが咲き乱れるという。「日本にもこんな所があったのか!」と驚かされる島だった。(高橋 徹)
新幹線「さくら」を川内(せんだい)で降り、バスで串木野港へ。本土と島の間は毎日、高速船とフェリー各2便が結ぶ。11時前に新大阪を出て最終船で上甑島の里港についたのは午後6時だった。
翌朝、奇岩巡りの観光船「かのこ」に乗るため中甑漁港へ。4月1日就航の新造船で見どころ10カ所のうち9カ所が下甑島の西岸にある。高さ200メートルの「鹿島断崖」、鶴が羽を広げたような「鶴穴」、明治初期にフランス人が「我が国の皇帝に似ている」と言ったのが由来という「ナポレオン岩」。そのどれもが紺碧の海からそそり立ち、世界遺産ベトナム・ハロン湾の巨岩奇石群を思わせる迫力。8000万年前の地層という堆積岩に、地球が生きていることを改めて学ぶ。恐竜の化石も発見されているそうだ。
島も今は車社会。レンタカーで中甑島の木の口山(294メートル)への道を走ると1車線だが山頂近くまで舗装されていた。南に甑島最高峰の尾岳(604メートル)がそびえる下甑島が望めた。中甑島と下甑島間の架橋工事も進行中。完成は10年後という。
上甑島に引き返し、島を代表する景勝地「長目の浜」へ。緑に覆われた丘陵に囲まれ、海岸に沿って並ぶ三つの池と海を隔てる4キロの砂州が続く。その両端に全景を望める展望所があり、薩摩藩主もほめたという絶景を堪能できた。
島が史書に登場する最古は、奈良時代の甑隼人(はやと)の叙位記録。中世には上甑島の里地区に亀城と呼ばれる城があった。今は公園となった城跡で、カノコユリの若葉が伸び始めていた。ボランティアガイド「ふるさと案内人」の鷺山正清さん(72)らが植栽に努めて1000株ほど。戦後の一時期はアメリカに輸出され「ドル稼ぎ」に一役かった際の取り過ぎと、山に人が入らなくなって樹木が茂り、自生株が減ったそうだ。薩摩藩時代も地頭仮屋(じとうかりや)と呼ぶ役所がまず置かれたのは里地区。武家屋敷集落をしのばせる玉石垣積みの町並みが残っていた。
翌日は高速船で里港を出て下甑島の長浜港へ。西海岸の断崖や奇岩を陸上数カ所から見られるというので車を借りたものの、道路標識がほとんどない上、ナビゲーションも記憶された道路が少なく役に立たなかったが、島人は親切。車で先導してくれて「採ったばかり」というアワビまでもらった。
下甑島最南端の手打地区にも、武家屋敷跡があり、700メートルに及ぶ玉石垣の町並みが残っていた。キビナゴ、ブリ、甘エビ(タカエビ)、クロダイをはじめとする海の幸も満喫して家に帰り着くと、体重が2キロも増えていた。 |
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朝日旅行ではカノコユリ=写真=の咲く時期に2泊3日で甑島を訪れるツアーを企画しています。出発日は7月7日と16日。問い合わせはTEL06・6345・1613。 |
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