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| 小島 孝治(77) |
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| 今も変わらぬ育て上手 |
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教え子たちから「喜寿」を祝ってもらったばかりというのに、休むことなくママさんバレー教室のコートに立っている。小島孝治さんの「拾って、つなぐ」バレーは健在だ。「このお母さんたちに、元気をもらっているよ」といいながら、基本だけは厳しく、手取り足取りして教えている。
関西大学商学部に入り、スポーツ奨学金が魅力で打ち込んだバレーボールが、心の支えとなり終生の道となった。1953年に四天王寺高の監督に招かれ、選手を育てるうまさを買われて65年、大松博文氏の後継者として日紡貝塚(現ユニチカ)の監督に。日本リーグV3の手腕で、全日本の監督に就任。72年のミュンヘン五輪では、決勝でソ連に惜敗。8年後のモスクワ五輪で雪辱のチャンスがめぐってきたが、日本の不参加で夢ははかなく消えた。
「元気のもと? 常に前向きで、クヨクヨしないことかな。バレーは、負けたらそこまで。だから、負けるたびに考えた。勝つために次は何をしようか。街を歩いていても、何かバレーに役立つものはないかと。その習慣は今でも続いてるよ」
選手にハードな練習を強いるには、自分にも体力が必要だった。「肉好きで、暴飲暴食ぎみだったはずなのだが、毎日朝晩、女房から抗酸化ビタミンA、C、E入りの補助食品を飲まされ続けているのが、いいのでしょう。医者しらずできて、3年前に腸閉塞で初めて入院するとき、病院がこわかった。みんなに笑われたが、もう大丈夫。孫たちに、せがまれて遊びに連れて歩くのも、いい薬です」
現役を退いた後は、奈良市教育委員を4年、続いて大阪市教育委員を8年務め委員長にも。04年度の「大阪市民文化功労賞」を受賞し、現在は(財)大阪スポーツマンクラブ会長(7年目)のかたわら、NPO法人「おおさかシニアネット」の理事長として「健康で、豊かな暮らしづくりに役立てば」と飛び回っている。 (英) |
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