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| 沈魚落雁羞花閉月 |
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「私はこうだんし」。そう名乗れる人が、大阪に10人余りいる。「好男子」ではなく講談師のことだ。講釈師とも呼ばれるが、浪花節と同様、講談も戦後は演者が激減した。中でも上方講談は去る8月、88歳で亡くなった旭堂南陵さんただ一人、という時代もあった。
世間の出来事、秀吉の出世話や忠臣蔵、明治の元勲話などなど、講談の題材はあらゆる分野に及ぶ。歴史的事実に虚実をまぶして語るのだが、「我々は史実ではなく、実録を元に話す。史実は実が4(し)ですが、実録には実が6(ろく)もある。だから我々の方がより真実に近い」と断るところが楽しい。
オーバーな表現も講談の特徴。美人の形容として有名な「立てばしゃくやく、座ればぼたん、歩く姿はゆりの花」があるが、これはまあ並みの部類。すこぶる付きとなると講談では「沈魚落雁羞花閉月(ちんぎょ・らくがん・しゅうか・へいげつ)」と謳いあげる。その美しさの前では、魚や鳥も逃げ、花はしぼみ、月さえ雲間に隠れるというのだ。
南陵さんの口演『将軍吉宗』でこの表現を初めて聞いた時、何のことか分からなかった。調べてみると「沈魚落雁」は、紀元前の中国の思想書に出てくる成句。確かに実録であった。南陵さんは、戦前から活躍した2代目南陵の次男。兵隊にとられて中国大陸を5年間転戦、敗戦後1年を経てやっと日本に帰り、また講談を語り始めた。父の死後、3代目を継ぎ、講談苦境の時代を「家康をののしる会」を開いたりして乗り切り、多くの弟子を育てて盛り上げてきた。
78歳で大阪舞台芸術賞を受賞した時の談話は「人より先に出ることが嫌いで、学校の運動会でも、走って勝って賞品もらうというのがあかんかった。そんなダメ人間やから、陰々滅々、何10年も講談を続けられた」。悠揚迫らぬ人柄で、その魅力にお客さんもお弟子さんも引っ張られた。
惜しい方を亡くした。講談ばりのオーバーな表現ではなく、心底そう思う。 (演芸ライター) |
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