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| 人間は先繰り機転や |
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上田 文世 |
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のっけから私事で恐縮ですが、私の父親は職業をいろいろと変えた。雑貨などの小売業を手始めに、私が物心が付いた頃は、小麦をひいて粉にし、うどん・そうめんを作って売っていた。お米の販売業(お米といっても闇米)、紙箱製造業、牛乳屋などにも転身した。
いずれの仕事も、家族総出で働くのが特徴。子どもも労働の担い手、重要な戦力であった。父親からその頃よく言われたのは「鑿(のみ)持って来いと言われたら槌(つち)も用意する。糊といえば刷毛もと、一つ先を読んで気を利かせるんや」。
上方落語『近日息子』には、これと同じ言葉が出てくる。人はいいのだが、ぼんやりした息子。「もうちょっとしっかりしてもらわな、どんならん」と父親から叱られる。そして「人間ちゅうのは、先(さき)繰り機転や。昔やったら『鑿といえば槌』で良かった。ところが今はそうやない。鑿といえば、大工道具一式かついできて、ここからどうぞお使いをと、そこまで気を回さなアカンのや」と諭される。今の言葉で言うと「KY」、「空気を読めない」、そんなことではいけないということか。
「後期高齢者医療制度」を巡る動きを見ていると、「先繰り機転」が今一番求められている人は、政治家や政策を立案するお役人ではなかろうか。この制度には、医療費を抑えようとする下心が露骨で、言葉に対する配慮が無い。目の前のことに対応するだけで「先を見る目」「気を回す」といった気持ちが少ないように思える。「先繰り」を辞書で調べると「先回りして悪いふうに疑うこと」と出ていて、むしろ、こちらの意味に近いやり方だ。
落語の方は、「先繰り機転」に目覚めた息子が、父親の様子から「病気だ」と先繰りし、医者を迎えに走る。医者の仕草を見て、また家を飛び出し棺桶を担いで帰ってくる。さらには坊さんを呼び、葬儀の準備まで進め、ご近所を巻き込んでの大騒ぎへと発展する。過度な「先繰り機転」もまた大迷惑となるのだ。
(演芸ライター) |
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