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| 美(ちゅ)ら国 沖縄 (中) |
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| 歴史と文化 |
しなやかに伝統を守る 王国の誇りを捨てずに融合 |
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沖縄では陶器を「やちむん」と呼ぶ。那覇市の「壷屋やちむん通り」一帯は、320余年の歴史がある壷屋焼の産地。延長約350メートルの沿道に焼物の店が並ぶこの町から13年前、登り窯の火が消えた。周辺の市街化が進んで窯の煙が敬遠され、条例で使用禁止になったためで、30余軒の窯元はそろってガスや灯油、電気の窯に切り換えた。
さかのぼると、沖縄では各地に12世紀ごろから按司(あじ)と呼ばれる有力者が割拠。次第に北山、中山、南山へ統合されて三山時代となった後、南山王の下にいた尚巴志が中山を倒し、北山、南山も吸収して1429年に全島統一の「琉球王国」をつくり上げた。

復元された首里城は沖縄観光の主役 |
首里城は東西約400メートル、南北約270メートルの尚氏のグスク。王朝の誕生後、本土より8年遅れの廃藩置県で沖縄県になる1879年までの450年間、王の居城と王国の行政府を兼ねていた。1945年の沖縄戦で破壊されたが、92年に正殿などが復元され、今は関連8遺跡とともに世界遺産に登録されている。
「異産至宝は十方刹(国中)に充満せり」と、首里城の「万国津梁(かけ橋)の鐘」(県立博物館所蔵)に刻まれるほどの王国の繁栄は、周辺国との交易がもたらした。中国が明の時代、周辺国王を明皇帝の臣下とみなす冊封体制をとったころ、三山時代だった琉球はその枠組みに入った。そして1609年には薩摩藩が琉球に侵攻し、日本の幕藩体制にも組み込まれた。
これによって琉球は中国皇帝への進物献上と、薩摩藩や江戸幕府への慶賀の使者派遣を義務付けられたが、王府の派遣船はそのつど、大量の両国産品を持ち帰った。そして2つの体制の枠内にありながら「独立王国」の地位を堅持。朝鮮、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアなどにも船を送って「大交易」を続けた。
沖縄伝統の文化や工芸技術も交易の中で進化し、王府の保護のもとで独自性を培った。例えば陶器は、15世紀ごろにタイから伝わった南蛮焼に、中国、朝鮮、薩摩の技法が融合したものという。壷屋は王府による3カ所の産地統合で生まれた。那覇市立壷屋焼物博物館学芸員の倉成多郎さん(33)によると、王府が管理して士族らの陶器を焼いた「官窯」と庶民の雑器を焼いた「民窯」が混在する珍しい産地。官窯の「北ヌ窯跡」にできた博物館には建設中に発掘した窯を展示、町内に登り窯の「南ヌ窯」「東ヌ窯」も保存されて「町全体が博物館」になっている。
「泡盛」も先祖はタイの酒。王朝時代は「貴重な酒」として生産地が首里城に近い3地区に限定された。いま県内の生産所は46社と1組合。各社が20〜30種の泡盛を販売しているという。
その泡盛に去年秋、23人の初代マイスターが誕生した。泡盛マイスター協会(那覇市)が資格認定した「泡盛版ソムリエ」で、那覇市にある酒造会社広報担当の岸本佐智代さん(30)はそのひとり。東京で育ち、結婚して那覇に住んで7年目。「沖縄で打ち込めるものを探していた」ときに話があって飛びついた。
毎月1回、4〜5時間の講習があり、前期は泡盛の歴史やつくり方を学び、後期はテイスティングを繰り返す。会社は約120年前の創業で多くの観光客が訪れる。「奥深い泡盛の正しい情報を発信し、マイスター一期生としてより幅広い活動の場も探したい」という。 (金澤 清弘) |
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国立大学法人・琉球大学(沖縄県西原町千原)で6月19日から始まる「琉球大学シニア短期留学」への申し込み締め切りが迫ってきました。
那覇市内に宿泊して2週間、大学の講義と現地学習を通して沖縄の歴史や文化を学ぶのが目的で、「フロンティアエイジ」が企画しました。申し込み・問い合わせは旅行主催のJTBグローバルクラブ西日本(TEL:06・6342・6500)へ。
対象は50歳以上の方で定員30人。留学期間は7月2日までの2週間で、6月25、26(土・日)の両日は自由研究になります。
講義は(1)健康・長寿の科学(2)琉球の歴史研究をテーマに毎日午前中の3時間・計30時間を琉球大学が運営します。現地学習は、世界遺産のグスクや戦跡訪問▼伝統芸能や工芸の体験▼琉球大学観光科学科の講義聴講▼放送大学沖縄学習センターの利用など。参加費(現地集合・現地解散)は、ひとり23万9000円です。 |
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