ニューシニアの情報新聞「フロンティアエイジ」
フロンティアエイジ=新時代の開拓者
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  旅−マイウェイ  
 
北モロッコ
 
 
迷宮の町に歴史を学び 日の出見に砂漠を疾走
 
    この旅のことは、やはりフェズから書き始めよう。私の知識の中にある都市と、余りにもかけ離れたものだったからだ。 「はぐれたら、絶対にその場を動かないで下さい」。見学前に、ガイドから何度も念を押された。四通八達と思える道はあちこちで行き止まっているのだという。

 「千円、千円」。日本語で、しつこくつきまとう物売りをお供に、ロバのすれ違いがやっとという路地を歩く。家具、皮革、金属加工など、職種ごとに分かれた工房や店が並ぶ。多くが間口が一間足らず。喧噪と独特のにおいが満ちていた。
フェズの街
迷宮都市フェズの街角(撮影・平川浩之氏)
   この国の都市は、大きく分けてヨーロッパ的な新市街と、メディナと呼ばれる旧市街、ユダヤ人街からなる。フェズが人々をひきつけるのはメディナ。中世的なイスラム都市の姿を、よく残していると、81年に世界遺産に登録された。

 私たちのツアーは、10日間でモロッコの北半分をバスで一周する強行スケジュール。「年齢的に、こんな厳しい旅はラストチャンス」と思って申し込んだ。参加者は40人を超え、似た年齢の人が多いのに驚いた。

 関西空港を出てパリを経由し、カサブランカに到着したのは夜。翌日は首都ラバトを経て、ヨーロッパからの海の玄関口タンジェに泊まる。ラバトが首都になったのは20世紀初頭のことで、それ以前はフェズだった。

  フェズまでで印象に残ったのは、古代ローマ時代の都市ヴォルビリス遺跡。当時、人々は石材を使って神殿、邸宅、浴場、工房、門などをつくり、床や壁面をモザイクで飾った。しかし、3世紀には衰退し、イスラム教の進出で8世紀には廃都となり、やがてフエズが王都に。

  ローマ時代の遺跡はイタリア、トルコなどで訪ねたが、どこも同じパターン。為政者に都市とはこのようなものという思いがあったためで、ヴォルビリスもその例にもれない。
モロッコ

  それに比べ、フェズは全く別種の都市だった。この町の基本プランは中国的な方形区画や、ヨーロッパ的な主要な建物のある広場を中心としたものではない。実は建設の当初から、迷宮的な街路がつくられたと考えられている。暮らしの中心となるモスクも点在するが、住居や工房群に埋没していた。

  都市造りは一般に、明確な思想や信仰に基づいて設計される。モロッコとて、その例外ではないはずだ。フェズは中世のモロッコ人が「かくあるべきだ」と考えた歴史を、追体験できる遺産であることがよく分かった。

  フェズを出て、3千メートル級の峰を連ねるモワイヤン・アトラス山脈を越え、サハラ砂漠に向かう。この旅の見どころの一つは、砂漠での日の出。宿にしたエルフードから4輪駆動車に分乗し、闇の中を1時間余り、メルズーカ大砂丘へと向かった。わずかな距離だがラクダにも乗った。

  サハラ砂漠入り口の町ワルザザート一帯は、映画のロケ地として有名で25もの撮影所がある。近くのアイト・ベン・ハッドウも印象に残る集落だった。「アラビアのロレンス」(62年)をはじめ、いくつもの映画が撮影されたという。小高い丘を日干しれんがの建物が埋め尽くしていた。ここもまた世界遺産である。

  中央アジアで、テパやテペと呼ばれる遺跡を訪れたことがある。れんがの建物が風化して丘になったものだった。アイト・ベン・ハッドウのたたずまいに、テペやテパの原風景を連想した。あわただしい日程ながら「都市とは何か」を学ぶことの多い旅だった。   (高橋 徹)
     
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