標高3952メートル。たどりついた玉山の頂上は、濃霧の中にあった。日の出の時刻が来ても曙光の気配はない。それでも疲労が吹き飛ぶほどの充実感があった。
台湾にある玉山は北東アジアの最高峰。富士山より176メートル高く、日本の統治時代には新高山(にいたかやま)と呼ばれていた。付近への立ち入りは長らく制限され、今も入山許可書がいるが、手続きは年々簡単になってきている。昼前に関西空港を出て、その日のうちに玉山の西側にある阿里山のホテルに着いた。同行者は大学時代の寮仲間。台北からは玉山登山300回というベテランガイドがついてくれた。

登山者でにぎわう玉山への登山口 |
阿里山は森林資源の宝庫。標高2千メートル付近を中心に開発整備され、観光地になっている。「新高山へ?大変ですねえ」。ホテルで大阪からという中年女性たちに声をかけられた。戦前に敷設された阿里山鉄道の旅が大人気らしい。
日本では中高年の登山が盛ん。玉山をめざす人がもっといてもいいと思うのだが、意外に少ないのは登山路や山小屋についての情報が、入手しにくいからだろう。
午前8時前にホテルを車で出発。山々の中腹を縫う新中横公路(国道)を50分走り、上東埔で登山客専用車に乗り換えて登山口の塔塔加鞍部に向かう。標高2600メートル。途中の警察小隊庁舎でガイドが入山手続きをしてくれ、数分で終わった。
登山口に40人ほどのグループがいた。台湾で最大のパソコン関連企業の社員たちだという。30代までの若者が中心で欧米人もいた。服装や歩きぶりから大半が初心者のようで、登山路がさぼど危険ではないことを思わせた。
初日は約5時間歩いて標高3400メートルにある唯一の山小屋、拝雲山荘へ。2日目に3時間ほどかけて登頂後、一気に下山する予定だ。費やす時間に差はあっても、ほとんどの登山者が同じ行程。山荘の収容人員は曜日によって90〜120人で、入山許可は宿泊許可でもある。

霧に霞んで山頂に建つ
「玉山主峰」の石碑 |
天気は快晴。5時間ほどの山歩きはそれほど辛いものではない。山肌を白く染めたシャクナゲを愛でながら、のんびりと登ったが、鼻歌交じりというわけにはいかないのは空気が薄いため。「66歳には、少しこたえる」ことを実感した。
山荘までの道は20分ほども続く急坂が1カ所あるものの、少しずつ高度を上げるように整備されていた。危険な場所には幅1メートルほどの木製の桟橋がかけられ、傷んだ個所は補修されていて安心して歩けた。
山荘には予定通りのタイムで到着した。30分ほど遅れて、例の大企業グループもやってきた。山荘があるのは急勾配の斜面にある棚地の上。散策したくても行き場がなく、日本の山小屋と違って売店もない。時間の過ぎるのをただゆったりと待ち、バイキング方式の台湾料理の夕食が終わると、蚕棚状の2段ベッドで持参の寝袋にくるまった。
午前2時半。周囲で人の動く気配を感じて目覚めた。みんな出発の準備にかかっているらしく、外に出て空を眺めると、真っ暗ながら雲が低く垂れこめていた。「雨にならなければいいが」と気にしながら、ヘッドランプを点灯して出発。午前3時を少し回っていた。
道は山荘東側にある尾根の最高部に向けてかなりの急勾配。足取りは快適のつもりだが、空気が薄くなってきたせいか、一歩が重くなる。歩き始めて約2時間。山頂のすぐ下と思われる地点に転落防止用の鉄柵があり、上には落石避けの金網天井。そこを抜けると岩場が待っていた。槍ケ岳の頂上付近程度で厳しくはない。
その岩場を20分ほど登ると、山頂だった。「玉山主峰」と刻んだ石碑を濃霧の中で確認できた。長年の経験から、高い山の山頂で眺望に恵まれる可能性は、半分もあればいいことを知っている。落胆はなかった。定年後に山歩きを始めた相棒もまた、自力で登れたことに満足していた。
(高橋 徹・元朝日新聞編集委員)
アドバイス 食器やはしは必携。費用は旅行社や時期で差が大きく、今回は台湾の旅行社の関西支社で手配し4月下旬の日曜日発。3泊4日。1人165000円 |