ニューシニアの必読紙「フロンティアエイジ」
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旅−歴史を歩けば 2005年
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  旅−歴史を歩けば  
 
美(ちゅ)ら国沖縄(中) 2005年5月号
 
しなやかに伝統を守る 歴史と文化 王国の誇りを捨てずに融合
   沖縄では陶器を「やちむん」と呼ぶ。那覇市の「壷屋やちむん通り」一帯は、320余年の歴史がある壷屋焼の産地。延長約350メートルの沿道に焼物の店が並ぶこの町から13年前、登り窯の火が消えた。周辺の市街化が進んで窯の煙が敬遠され、条例で使用禁止になったためで、30余軒の窯元はそろってガスや灯油、電気の窯に切り換えた。

 さかのぼると、沖縄では各地に12世紀ごろから按司(あじ)と呼ばれる有力者が割拠。次第に北山、中山、南山へ統合されて三山時代となった後、南山王の下にいた尚巴志が中山を倒し、北山、南山も吸収して1429年に全島統一の「琉球王国」をつくり上げた。

復元された首里城
 首里城は東西約400メートル、南北約270メートルの尚氏のグスク。王朝の誕生後、本土より8年遅れの廃藩置県で沖縄県になる1879年までの450年間、王の居城と王国の行政府を兼ねていた。1945年の沖縄戦で破壊されたが、92年に正殿などが復元され、今は関連8遺跡とともに世界遺産に登録されている。

 「異産至宝は十方刹(国中)に充満せり」と、首里城の「万国津梁(かけ橋)の鐘」(県立博物館所蔵)に刻まれるほどの王国の繁栄は、周辺国との交易がもたらした。中国が明の時代、周辺国王を明皇帝の臣下とみなす冊封体制をとったころ、三山時代だった琉球はその枠組みに入った。そして1609年には薩摩藩が琉球に侵攻し、日本の幕藩体制にも組み込まれた。

 これによって琉球は中国皇帝への進物献上と、薩摩藩や江戸幕府への慶賀の使者派遣を義務付けられたが、王府の派遣船はそのつど、大量の両国産品を持ち帰った。そして2つの体制の枠内にありながら「独立王国」の地位を堅持。朝鮮、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアなどにも船を送って「大交易」を続けた。

 沖縄伝統の文化や工芸技術も交易の中で進化し、王府の保護のもとで独自性を培った。例えば陶器は、15世紀ごろにタイから伝わった南蛮焼に、中国、朝鮮、薩摩の技法が融合したものという。壷屋は王府による3カ所の産地統合で生まれた。那覇市立壷屋焼物博物館学芸員の倉成多郎さん(33)によると、王府が管理して士族らの陶器を焼いた「官窯」と庶民の雑器を焼いた「民窯」が混在する珍しい産地。官窯の「北ヌ窯跡」にできた博物館には建設中に発掘した窯を展示、町内に登り窯の「南ヌ窯」「東ヌ窯」も保存されて「町全体が博物館」になっている。

 「泡盛」も先祖はタイの酒。王朝時代は「貴重な酒」として生産地が首里城に近い3地区に限定された。いま県内の生産所は46社と1組合。各社が20〜30種の泡盛を販売しているという。

 その泡盛に去年秋、23人の初代マイスターが誕生した。泡盛マイスター協会(那覇市)が資格認定した「泡盛版ソムリエ」で、那覇市にある酒造会社広報担当の岸本佐智代さん(30)はそのひとり。東京で育ち、結婚して那覇に住んで7年目。「沖縄で打ち込めるものを探していた」ときに話があって飛びついた。

 毎月1回、4〜5時間の講習があり、前期は泡盛の歴史やつくり方を学び、後期はテイスティングを繰り返す。会社は約120年前の創業で多くの観光客が訪れる。「奥深い泡盛の正しい情報を発信し、マイスター一期生としてより幅広い活動の場も探したい」という。  (金澤 清弘
 
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